「吾輩は猫である」などの作品を発表し、すでに文豪の地位を築いていた夏目漱石。諏訪での講演は「南信日日新聞」の1面に8回にわたり連載された(1911年6月25日付)
文豪夏目漱石(1867~1916年)の諏訪市での講演を伝える110年前の「南信日日新聞」が同市内で見つかった。1911(明治44)年6月21日、南信日日新聞社(長野日報社の前身)が主催した同講演の内容は「漱石全集」(岩波書店)にも収められているが、新聞では講演前後の漱石の動向や対面した記者のコラムも掲載されており、貴重な資料となりそうだ。
「朝日新聞」の社員でもあった漱石は信濃教育会の招きで6月17日から信州を訪れ、長野市、高田町(現新潟県上越市)に続き、21日午前9時から高島尋常高等小学校(現上諏訪小)で「我輩の観た『職業』」と題して講演。職業が複雑多様化する中、職業の違いで生じる互いの「孤立」を救う方法として「文学をつとめて読む」大切さなどを説いた。
4ページの夕刊だった同紙は講演後、連日1面で8回にわたり内容を連載。事前記事では急きょ諏訪入りが2日延びたことなど漱石の動向を詳しく伝えたり、広く聴講を呼び掛ける「特別広告」を2日続けて載せたりなど大きく報じた。
講演については農繁期にもかかわらず200人余りが来場し、職業観について「氏一流の警抜なる観察」で1時間半にわたり聴衆を魅了したと伝え、コラム「八面観」では上諏訪駅近くの旅館に記者が漱石を訪ねた際の様子をつづっている。
諏訪での漱石を調べる研究者にとって当時の新聞は欠かせない資料。日本近代文学者でフェリス女学院大学名誉教授の宮坂覺さん(77)=東京都新宿区、原村出身=は「大変貴重な資料」と話す。「5年ほど前に論文執筆のため必死で探したが、現物を確認することができなかった」といい「活字の部分的な引用と違い、現物の持つインパクトは大きい。さらに文学研究のみならず、当時の社会の様子を生き生きと伝えてくれる。その意味でも、極めて貴重な資料」と意義を指摘する。
所蔵していたのは印刷会社「南信プラン」(諏訪市四賀)で、新聞は長野日報社に寄贈された。
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