三六災害の体験談や命を守る行動などについて話があったパネルディスカッション
1961(昭和36)年6月に長野県の伊那谷を襲った豪雨災害の教訓を振り返る「三六災害60年シンポジウム」(実行委員会主催)が12日、飯田市の飯田文化会館で開かれた。災害から60年を迎えた昨年開く予定だったが、新型コロナの影響で延期した。一般約250人が来場。基調講演やパネルディスカッションで専門家や被災体験者らの話を聞いた。来場者らは災害を風化させることなく次世代に語り継ぎ、頻発する自然災害に備える気持ちを新たにした。
基調講演では、降雨に関する研究に携わる元国土交通省河川局砂防部長の牧野裕至さんが、天竜川上流域の降雨特性と地形について講演。大西山(大鹿村)の大崩壊が起きる2日前の天気図を示し、太平洋高気圧による時計回りの風と、四国沖にいる台風崩れの熱帯低気圧が起こす反時計回りの風が合わさり、太平洋から「天竜川上流域に向けて湿った空気が連続的に流れ込んだ」と当時の気象状況を説明した。
質疑応答では、「災害は雨量だけでは決まらない。土質が(その雨量に)慣れているか、慣れていないかも影響する」と回答。気象情報だけでなく地域特有の地形や地質も含めて考えるように説いた。
パネルディスカッションはパネリスト5人が参加。信州大地域防災減災センター防災減災研究部門長の平松晋也さんがコーディネーターを務めた。被災体験者や体験者の家族は「自然の大きな力に恐怖を感じた。同級生が犠牲になった」「(濁流にのみ込まれ)死を悟ったそうです」などと生々しい記憶を伝えた。
自治体の危機管理の担当者は、三六災害当時と比べ「コミュニティー力(基礎的地域防災力)が低下している」と指摘。防災訓練を重ねるなど地域で災害に備える必要性を説いた。平松さんは避難指示を待つのではなく「自主避難を心掛ける。土砂災害の前兆現象を事前に学習して指標にし、自主避難のトリガー(きっかけ)にしてほしい」と話した。
この日はライブ配信も行った。会場には三六災害の惨状を伝えるパネルが並び、講演前などにじっくりと見入る人の姿もあった。
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