高原のミュージアムに展示する富士見煎餅の複製を持つ学芸員の平澤愛里さん。情報提供も求めている
長野県の富士見町高原のミュージアム学芸員の平澤愛里さん(25)が、同町原の茶屋にあった松月堂菓子店が戦前に売り出し、人気を博した「富士見煎餅」の調査を進めている。表面には町ゆかりの伊藤左千夫の歌が焼き込まれ、斎藤茂吉が広告文を、画壇で活躍していた平福百穂が包装紙のデザインを手掛けた。アララギ派歌人と地元の人々との「深い交流を示す銘菓」と平澤さん。発売から100年を迎える7年後に向けて情報やエピソードを集め、次代へ継ぎたいという。
松月堂はかつて歌会が盛んに開かれた旧甲州街道「桔梗屋」の向かい、大正時代に茂吉が滞在した「柳屋」近くにあり、1929(昭和4)年に富士見煎餅を発売した。翌年に南信日日新聞(現・長野日報)が読者投票形式で行った「うまいもの競べ」で、全体の8位となる2万7500票余りを獲得。1年で地域を代表する銘菓となり、記事には「東京で飛ぶように売れている」ともある。
店主は折井治郎氏。同館には孫の浩治さんから寄託された煎餅を焼く姿のモノクロ写真がある。御射山神戸の農家から仕入れた卵で砂糖、小麦粉を練り、焼いた富士見煎餅は「カステラに似た味」(86年『高原の自然と文化』第6号)で、サンショウの葉でアクセントを加えたという。表面には富士見公園に建つ左千夫歌碑(島木赤彦書)の歌を焼き込んでいる。
平澤さんは、地方の菓子店の求めに応じて茂吉、百穂という中央歌壇、画壇で活躍していた2人が協力している点に着目する。茂吉の広告文からは「単なる商品の宣伝ではなく、富士見という地、人々への親しみや愛着を感じ取れる」と説明。左千夫の来訪に端を発したアララギ派歌人と原の茶屋の人々の「長年にわたる気の置けない交流」が生んだ銘菓とする。
富士見煎餅をまずは知ってほしいと、15日発行の「ふじみ町公民館報」に特集記事を執筆した平澤さん。同館に展示する包装紙の原画や富士見煎餅の複製、関係資料を見ながら、「明治から昭和にかけての歌人との交流に思いをはせていただけたら」と願う。
戦時中に材料の入手が困難になったこともあり、製造は中止された。モノクロ写真に記録される焼き型も鉄の供出で現存しておらず、当時の新聞の挿し絵にある贈答・土産用の筒型の箱(缶)も見つかっていない。平澤さんは、煎餅に関する情報や記憶、エピソードを文化財係(電話0266・64・2044)に寄せてほしいと求めている。
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