ウクライナからの避難家族9人と禅道会、高森町が会見(6日)
ウクライナから信州へ避難してきた母と子の訴えです。避難家族9人が戦禍に巻き込まれた祖国の様子や現在の心境を語りました。
ウクライナから避難してきた母と子9人が掲げた1枚のポスター。ウクライナカラーの紙の上に貼ったのはロシアの攻撃で廃墟と化した街や遺体の写真です。
クズニェツォバ・カテリーナさん
高森町に避難したクズニェツォバ・カテリーナさん(19):
「街は破壊されて何も罪のない人たちが死んでるのが現状。ポスターはその現状を描いた」
長野県高森町・6日
高森町に滞在する避難家族9人が、6日、日本への避難を手配した空手団体「禅道会」などと共に会見を開きました。
ボロセンコ・オレナさん
ボロセンコ・オレナさん(44):
「ご存じの通り、2月24日にウクライナが大変なことになった。みんなは戦争を始まったころ誰も信じてなかった、悪い冗談だと思ってた。戦争が始まって2日後、私たちの想像しなかった方向に人生は変わった」
4月30日に日本に到着(成田空港)
男の子たちは空手の門下生。禅道会側が現地の支部と連絡を取り合って9人の避難を実現させました。一行は今月1日から町の宿泊施設で過ごしています。
スタシウク・ディナさんとダニエラちゃん、ダビド君
3歳のダニエラちゃんと8歳のダビド君を連れて避難したスタシウク・ディナさん(36)。住んでいたのはウクライナ中央部のヴィーンヌィツャで、夫はまだ現地に残っています。空襲警報が鳴る不安な日々を過ごしてきました。
スタシウク・ディナさん(36):
「今は落ち着いてる場所だけど(当時は)爆撃や空襲のサイレンが鳴っている。2、3時間おきに夜にもサイレンは鳴って子どもたちはとてもおびえていて、みんなは子どもを連れて避難所など避難しないといけないのはとてもつらかった。海外は初めてで自分の街、国を出ていくのはとても気が重かった。実際に日本に来て温かい歓迎を受けて何回も感謝の言葉を贈りたい気持ち。たくさんの支援いただいてとても感謝している」
カテリーナさんが購入したのは模造紙や絵の具
5日、9人は量販店を訪れて信州での新生活に向けて生活用品などを購入しました。カテリーナさんが購入したのは模造紙や絵の具。
クズニェツォバ・カテリーナさん(19):
「ポスターにウクライナのあちこちの写真をのせて戦争が早く終わるように願う」
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