スピードスケート代表・小島良太選手(長野市出身)
北京オリンピックのスピードスケート代表・小島良太選手。長野市出身のスケート選手がオリンピックに出るのは初めてです。エムウェーブから北京へ。地元でも期待が膨らんでいます。
スピードスケートの小島良太選手(23)。年末の代表選考会では1000メートルで国内最高記録をマーク。オリンピック初出場を決めました。長野市出身のスケート選手がオリンピックに出るのも初めてです。
NBS長野放送
小島良太選手:
「素直に代表に選ばれた内定をいただいたといううれしさと、世界のトップの選手にどれだけ戦えるかという、その挑戦を楽しみたいと思っています」
エムウェーブで数々の熱いレースが繰り広げられた長野オリンピック。その興奮に包まれた1998年に、小島選手は生まれました。
3歳のころの小島選手 家族提供
兄に連れられスケートを始めたのは、3歳の時。以来、小中高・大学を通じエムウェーブがホームリンクです。
小島良太選手:
「本当に小さい時、物心つく前から通ってきていたリンクですので、『第2の家』とも言える思い入れの深い場所です」
小学生の時の小島選手
小学1年生の時、現在の指導者でもある結城匡啓さんのスケートクラブに入りました。特に元気な男の子だったようです。
結城匡啓コーチ(右)
結城匡啓コーチ:
「(今も)あんまり変わってないですよ。僕の中では、その頃の『やんちゃ坊主』のままですね。げんこつはありませんけど『コラー』って、時々、そういう存在でいたい」
その後、小学3年生からは新設された「エムウェーブスケートクラブ」へ。
エムウェーブスケートクラブ・渡辺勇理事長:
「小さい頃はやんちゃで、最初から優等生って感じではなかったんですが、そのくらい元気よく遊んでたって感じですね」
「やんちゃな小学生スケーター」は、徐々にアスリートへと変貌していきます。屋代高校時代には、国体の表彰台に上るようになりました。
NBS長野放送
小島選手にはずっと憧れの存在がありました。それは、最初にスケートを教えてもらった結城コーチが指導するようになっていた信州大学のチーム。小平奈緒選手はそこから世界の頂点に立ちました。
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