「八つ縄文織り」の作品と、手織りの魅力を語り合う高木義一朗代表(右)と別府ちなみさん
長野県諏訪地方で江戸末期に隆盛を極めた「諏訪小倉」の手織り技法を継承、発展した「八つ縄文織り」に注目が集まっている。昨年10月に東京都千代田区にショールームがオープンし、11月5~7日にはセミナーとワークショップを開く予定で、同区発行の広報誌にも紹介された。伝統を受け継ぐ関係者たちは「信州諏訪に素晴らしい手織りの技法があったことを多くの人に知ってほしい」と願っている。
諏訪市史によると、諏訪小倉は農家が副業で織っていたが、幕府の推奨で産業化が進み、自宅に織機を備え、人を雇って操業する専門業者も出てきた。関西や東北まで仲買商人の手によって出荷されたといい、はかま地は「諏訪平」と呼ばれて江戸の武士に人気があったという。
諏訪小倉は細い綿糸を使う高度な手織り技法で作られていたが、実用品のため明治以降に安価な西洋織物に取って代わられ、衰退していった。
八つ縄文織りは、糸商として諏訪小倉を支えた創業120年余の「いちき糸店」(諏訪市清水)の高木義一朗代表(74)が、伝統の手織り技法を残そうと約30年前に考案。縄文の名称に「民藝」としての魅力を託し、パソコンソフトを使って柄を拡張する「倍率」という要素も取り入れた。店内の工房で織り手を育成し、これまでに県内外の女性50人が習得している。
ショールーム「手織り工房Jomon」は昨年10月、2016年から高木代表に師事し、いちき 糸店に足しげく通う別府ちなみさん(54)が開設した。ドレスやブラウスといった洋服をはじめ、布使いのインテリアを提案している。11月には高木代表を講師に招き、セミナーとワークショップを開くことも決まった。
別府さんは「限られた世界の中で柄を自由に表現できるのが八つ縄文織り。新しい伝統が生まれると思う。積極的に発信したい」と意欲。高木代表は「忘れ去られようとしている諏訪の手織り技術を千代田区が評価し発信してくれた。諏訪に『諏訪小倉』というすごい文化と技術があったことを知ってほしい」と語る。2人は内外で八つ縄文織りの評価が高まり、技術の継承に必要な経済的な裏付けが確立されていくことを願っていた。
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