曽良の「近畿巡遊日記」の注釈書を発刊し、曽良菩提寺の正願寺に寄贈した藤原康道さん=正願寺の曽良遺品の前にて
長野県諏訪市出身の俳人・河合曽良(1649~1710年)が43歳の時、近畿を巡りながら京都へ向かった際に記した日記「近畿巡遊」。その日記の注釈書を、江戸曽良の会事務局長でエッセイストの藤原康道さん(77)=群馬県太田市=が発刊した。曽良を語る一冊といわれる同日記。注釈書は読み下す上で貴重な資料となりそうだ。
曽良は醸造業を営んでいた高野七兵衛の長男に生まれ、母親の実家で養育された。その後、親戚の岩波家や、伊勢長島(三重県桑名市長島)の伯父・大智院住職の下で成人。江戸に出て俳人芭蕉に入門し、晩年は幕府の巡見視用人となって壱岐に渡り、そこで病死した。
藤原康道さん(本名・桜庭康夫)は元小学校校長。若いころから芭蕉に興味を抱き、芭蕉の旅を支えた曽良に関心を広げた。たまたま大智院を訪れた際、当時南信日日新聞(現長野日報)に連載した「旅びと曽良の生涯」のコピーを見つけ、執筆者の故原博一さん、諏訪市助役を務めた曽良研究者の故藤森勘次さんらと交流、自称「曽良のおっかけ」が始まった。
「曽良の旅日記の多くは同行者がいて、自身の事は数歩引いて描いている。『近畿巡遊』は一人旅で、曽良を知る上でとても大切」と以前から注目し、10年前には曽良がたどった道のりを2週間掛けて車で巡った。3年前、「読み手の手助けになれば」と注釈に着手、あらためて京都などへ取材を始めた。▽日記に登場する寺社の説明▽複数の名前を持つが実は同一人物▽当時の時刻を現在に表現すると▽省略している部分の補足―などを解説。B4判、65ページ。「手づくりなので、今後少しずつ増刷していきたい」という。
藤原さんは4日、曽良菩提寺の同市岡村の正願寺(宮澤貴則住職)を訪れ、注釈書を寄贈。同寺には曽良が芭蕉とおくのほそ道を同行した時に使ったと言われる背負いかご「笈」や、愛用した硯箱、文台などがあり、宮澤住職は「新たに貴重な資料が増えた思いで大変ありがたい。大切に活用させてもらう」。藤原さんは「曽良と縁の深い正願寺に奉納させてもらいうれしく思う」と感謝した。
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