2日間の日程で始まった下社山出し。注連掛に向けて最初に運ばれたのは春宮四、春宮三だった。御柱とともに難所の一つ「萩倉の大曲」に入った氏子たち
長野県の諏訪地域で、7年目ごとの寅と申の年に行われる諏訪大社式年造営御柱大祭(御柱祭)の下社山出しは8日、下諏訪町で始まった。曳き出し地点の棚木場から曳き着け地点の注連掛まで、8、9日の2日間をかけて計8本の御柱をトレーラーで運搬する。曳行順で運搬し、初日は春宮四、春宮三、秋宮二、秋宮四の4本が無事に注連掛に並んだ。
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため人力での曳行を取りやめ、1200年以上にわたる御柱祭の歴史上初めてとなるトレーラーでの運搬を計画。トレーラーの前後には感染対策を徹底し、柱ごとに役員70人程度が隊列を組み、御柱とともに注連掛まで歩いた。
感染症対策のためマスク姿の氏子たち。地区の旗を先頭に、掛け声を合わせたり、おんべを振ったり、隊列の木やり衆が歩きながら木やりを披露したりと、それぞれの思いを胸に曳行路をたどった。
いつもの御柱祭なら曳行路が人であふれんばかりになる萩倉集落。感染症対策で、曳行路に立ち入らないよう求められていたこともあり、人の姿はまばらだった。住民たちは少しでも祭りの雰囲気を盛り上げようと、事前に各所に横断幕を掲示。当日も隊列に手を振ったり、敷地内から御柱を見送ったりした。
前回初日は氏子1万7000人、観衆5万9000人もの人出があった。今回は最大の見せ場「木落し」も中止となり、観客で埋まる観覧席もなく、ひっそりとした木落し坂前を隊列が進んだ。注連掛の高台へはクレーン2台で御柱を並べた。注連掛で柱ごとに神事を行い、少人数の木やりで締めくくった。
上社山出しに続き、初めての試みで行った下社山出し。大総代の一人は「コロナ下でも創意と知恵を出し合い、受け継いだものを次の世代に送っていくことが今のわれわれの使命」と話した。
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