江戸時代の”回覧板”御廻状を写した書留帳
江戸時代後期、凶作と疫病に苦しむ諏訪の人々のため、高島藩が身近な食材を用いた手当てや予防の方法を村々に広めた”回覧板”の当時の写しが長野県諏訪市小和田の旧小和田村名主の家で見つかった。地元八剱神社の宮坂清宮司が約270点の文書を預かり、整理する中で読み解いた。大豆やミョウガ、ゴボウ、ネギなど庶民の手に入りやすい材料で薬の作り方と服用方法を列挙した内容で、宮坂宮司は「藩主、奉行が民を思う温かみを感じる。昔の人がどう生き抜いてきたのかが見て取れる」と感じ入っている。
文書は「天保八丁酉年」(1837年)、藩の役人・大目附からのお達し「御廻状」を書き写した書留帳の中にあった。各村の名主は「御廻状」を写し取って村人に触れ、次の村に回したとされる。
時の藩主は八代諏訪忠恕。諏訪市史などによると天保4年の大飢饉から凶作が続き、御廻状通達の前年夏には大日照りで疫病と飢えで100人ほどが亡くなった-との記録もある。
文書を意訳すると、「時疫には大つぶの黒大豆をよくいり、一合の甘草とともに水で煎じ出して飲む」、「食物にあたり苦しむ時は大麦の粉を香ばしくいり、白湯でたびたび飲む」などとある。中には「時疫にはゴボウを突き砕いた汁を茶わん半分ずつ二度飲み、そのうえ桑の葉をひと握りほど火によくあぶり、黄色になったら茶わん4杯分の水を入れて半分になるまで煎じ、一度に飲んで汗をかくとよい」と、二段構えの手の込んだ処方を詳しく記したくだりも。計十一の療法を挙げて、「時疫流行の節、この薬をもって煩いをのがれるべし」とある。
宮坂宮司は「病気の感染拡大の波はいつの時代もあり、かつての人たちがどうやって命をつないできたかの答えがここにあった。面白くて夢中になって読み解いた」といい、「いつの時代も人びとのことを考えて為政する日本人は素晴らしい。生きるための知恵はかつての人たちの方が豊かなのでは」と尊敬の念を深めている。
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