満蒙開拓平和記念館で行われた慰霊祭 11日
ウクライナの現状に先の戦争を重ね、心を痛めている人もいます。11日、長野県阿智村の満蒙開拓平和記念館では慰霊祭が行われ、平和への祈りが捧げられました。
慰霊祭に参加した原千代さん88歳。6歳のころ、家族で満州に渡った元開拓団員です。父親は現地で徴兵され、帰ってきませんでした。
元開拓団員・原千代さん:
「父が出征していく時に、泣いて見送ったんですが、その涙とウクライナの子どもの涙がつながって、胸がとても痛くなりました。どうかあの小さい子どもの声を世界の人たちがしっかり聞いて、一日も早く平和な世界になってくれることを祈っています」
今も同じ空の下、戦火に怯える子どもたちがいる―。胸を痛めながらの慰霊祭となりました。
記念館は今月31日まで、特別な展示をしています。
(展示中のポスターより)
『湧き立つ感謝、燃え立つ援護』
『お国のために金を政府に売りませう』
戦時中に国や県が作成したポスターです。
ボランティアガイド・林茂伸さん:
「国民一丸となって戦争を支えるんだということを表しているポスターですね。これは長野県が作ったポスターですね。『鉄と銅、出して勝ち抜け大東亜戦』。金属を回収して、兵器に転用するわけですね」
(展示中のポスターより)
『あの旗を射たせて下さい。米国旗と英国旗の影が一本もなくなるまで撃って撃って撃ちのめすのだ』
ボランティアガイド・林茂伸さん:
「冷静になってみればおかしいということでも、当時の日本人は信じて疑わない」
ポスターは、旧会地村(のちに阿智村に合併)の村長の家の蔵の中にあったもの。国の命令でほとんどが焼却処分されましたが、村長は「将来のために」と保管していました。
戦後77年。世界では今も戦火が絶えず、多くの市民が犠牲となっています。林さんは、平和な日本で生きる私たちこそ、戦争がなぜ起きたのか考えるべきだと話します。
ボランティアガイド・林茂伸さん:
「わずか77年前まで日本もこうでした。全国みんな熱狂して、ひとつの方向に向かって、それ以外は許されません。なぜそうなったかを自分の頭でしっかり考えること、それが今、日本で一番大事なことです」
長野放送[/MARKOVE]