西村拓矢先生(屋代高校・長野県千曲市)
特集は教育現場の今です。新型コロナウイルスの影響は教師にも及んでいて、採用間もない若手は児童・生徒とじかに接する経験が乏しいままです。志望者減少で教師の確保も課題となる中、逆境を糧に奮闘する若手教師を取材しました。
西村拓矢先生
3月4日、長野県千曲市・屋代高校―。
屋代高校・西村拓矢先生:
「皆さん、おはようございます。声、聞こえているでしょうか」
パソコンに向かってオンライン授業
生徒のいない教室。パソコンに向かって国語のオンライン授業を始めたのは、西村拓矢先生(24)です。
この日はまだ「まん延防止措置」の期間中。教室での通常授業は、もう1カ月ほど行われていませんでした。
教師になってこの春で丸2年。つまり採用以来、ずっとコロナ禍で教師生活を送ってきました。
屋代高校・西村拓矢先生
屋代高校・西村拓矢先生:
「(採用後)授業するぞ!生徒と一緒にいろんなことやるぞ!と楽しみにしていたけど、学校に来てみたら生徒がいなかった」
新型コロナは教師の成長にも影響を与えています。
小学校時代の西村先生
西村先生は長野県千曲市出身。ずっと野球少年でした。中学生の時、野球部の顧問に「教師になれば野球を続けられる」と言われたことが、教師を志す切っ掛けになったと言います。
屋代高校・西村拓矢先生:
「(野球で)頑張って練習しても自分ではできないプレーとか、思いつくんだけど実行できない部分があって、自分はできなくても教えた子ができるようになれば、それは一つ幸せだし、うれしい事」
教師になるため新潟大学に進学。そのまま新潟で働くことも考えましたが…
屋代高校・西村拓矢先生
屋代高校・西村拓矢先生:
「自分が教わった先生たちへの“恩返し”がしたいという思い。信州出身で、信州に戻って、次の世代を育てていくってことができたら一番幸せ」
2020年、長野県の採用試験に合格。教師になることができました。
しかし、着任時、県外から来たということでおよそ2週間の自宅待機。そのあと、2カ月の休校に入り、生徒に会えない期間が続きました。[/MARKOVE]