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画家の原田泰治さん亡くなる 古里の自然と暮らし描く(長野日報) – 長野県地域ニュース

画家の原田泰治さん亡くなる 古里の自然と暮らし描く(長野日報)

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原田泰治さん
古里の自然と暮らしを描き続けた長野県諏訪市在住の画家、原田泰治(はらだ・たいじ)さんが2日、悪性リンパ腫のため、茅野市の諏訪中央病院で亡くなった。81歳だった。近代化が進む戦後日本で、全国各地を自らの足で取材し、美しい風景と伝統的な祭りや日常を描き、素朴画家として独自の世界を確立した。 葬儀は8日に近親者のみで行う。喪主は長女美室(みむろ)さん。献花台を同日から同市渋崎の原田泰治美術館に設ける。改めて「お別れの会」を開く。

1940(昭和15)年諏訪市上町生まれ。1歳のときに小児まひで両足が不自由になり、下伊那郡伊賀良村(現飯田市)に疎開し、中学校まで10年間を過ごす。父の看板業再開に伴って諏訪市に戻り、諏訪実業高校定時制を経て、武蔵野美術短期大学商業デザイン科を卒業した。

大卒後の64(昭和39)年、同市上町にホーコードーデザインスタジオを設立し、治子夫人と二人三脚で地元企業のポスターやロゴ、マッチ箱などにイラストを描く仕事を始めた。素朴画家イワン・ラブジンに感銘を受け、少年時代の思い出や信州の自然、暮らしを描いて地歩を築く。

82(昭和57)年には朝日新聞日曜版に「原田泰治の世界」の連載を開始。全国各地を訪ね歩く取材旅行と週1回の新作発表は「未知の冒険」(原田さん)だったが、失われつつあった古里の風景とつつましく生きる人々を描いた作品は話題を呼び、127週にわたって掲載され、原田泰治の名前を全国に広めた。

98(平成10)年には「諏訪市原田泰治美術館」が諏訪湖畔に開館。取材は東欧や米国、中南米など海外に及び、個展や講演を通じて「日本の心」を伝えた。諏訪地域の店舗や公共施設のバリアフリー化を進める「らくらく入店の会」の会長も務めた。

小中学校に自作ピエゾグラフを寄贈した功績などから紺綬褒章を2度受章。画集「原田泰治が描く―日本の歌百選」、絵本「とうちゃんのトンネル」など著書多数。長野日報の題字は原田さんのデザイン。地域の芸術文化、産業振興に大きな功績を残した。
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[紹介元] 長野日報 – Yahoo!ニュース 画家の原田泰治さん亡くなる 古里の自然と暮らし描く(長野日報)

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