諏訪大社上社本宮境内に立つ雷電像を見学する参拝者たち
大相撲の御嶽海が長野県出身力士として雷電以来227年ぶりに大関に昇進したことを受けて、長野県諏訪市中洲の諏訪大社上社本宮境内にある雷電像に注目が集まっている。参拝者が写真を撮ったり、手形の大きさに驚いたりして、江戸時代の名力士に思いをはせ、新大関の活躍を願っている。相撲の始祖とされる建御名方神を祭る諏訪大社の参拝に期待を寄せる声もあった。
雷電像は1966(昭和41)年、茅野市出身の彫刻家矢崎虎夫が横綱柏戸と同佐田の山、山梨県甲府市出身の富士錦をモデルに制作し、第13回日府展で文部大臣賞を受賞した作品。高さは2.25メートル。六尺五寸(1.97メートル)と伝えられる雷電を上回る大きさで、貫禄の雄姿を見せる。台座の「雷電像」は当時の時津風理事長(元横綱双葉山)が揮毫した。
「信濃力士伝」(中村倭夫著)によると、雷電像は雷電生誕200年に合わせ、雷電像奉納後援会(小山邦太郎代表)が66年10月に奉納した。建設委員長は前県知事(当時)の林虎雄。諏訪6市町村や山梨県甲府市、東京などの有志約70人が奉納者として名を連ね、時津風理事長や横綱柏戸、各界名士が参列して除幕式を挙行している。
712(和銅5)年に編さんされた「古事記」では、国譲りに反対した建御名方神が建御雷神と力比べをしたとあり、これが相撲の始まりとされる。1356(延文元)年成立の「諏方大明神画詞」によれば、神事に相撲はつきものであった。江戸時代には諏訪の三辻で相撲が盛大に行われ、その一つである上社の十五夜相撲は今も神宮寺の若者によって受け継がれている。
茅野市豊平の細川益治さん(92)は25日、御嶽海の優勝と大関昇進のニュースをきっかけに、「雷電像をもう一度見てみたい」と妻と息子に頼んで諏訪大社上社を訪れた。雷電像の近くに腰を下ろし、「確かここに雷電像があると思っていたが、本当にあってよかった」と喜んでいた。
「諏訪大社は相撲と関係が深い。御嶽海に参拝してもらえたら素晴らしいね」と語る参拝者もいた。
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