浪人塚で焼香する水戸市の関係者ら
長野県下諏訪町郊外の和田峠に近い樋橋で幕末に起こった和田嶺合戦(わだれいかっせん)で戦死した水戸藩の尊王攘夷(そんのうじょうい)派浪士を祭る同町樋橋の「浪人塚」で12日、墓参りが行われた。同町や水戸市の関係者約30人が参列し、「天狗(てんぐ)党」の名で知られた幕末の志士たちの霊を慰めた。
和田嶺合戦とは、元治元(1864)年、天狗党約1000人が、攘夷の早期実行を求めて京都へ向かう途中、和田峠で幕府側の高島藩・松本藩の連合軍と衝突した戦い。連合軍側が負けたが、天狗党側に10人余り、連合軍側に10人の戦死者が出たと伝わる。
浪人塚は、明治3(1870)年に高島藩によって建立され、水戸に照会して名前が分かった6人の名が刻まれている。以来、樋橋の住民が塚を管理し、供養を行ってきた。1988年ごろからは水戸市の関係者も参列するようになった。
宮坂徹町長は「この出来事を後世にしっかりと伝えていきたい。水戸市とのご縁はありがたいことで、今後も交流を続けていきたい」とあいさつした。
水戸市側から出席した歴史文化財課の小川邦明課長は高橋靖市長のメッセージとして、「われわれには戦の意味を考え後世に伝えていく役目がある。下諏訪町の皆さんには水戸の志士の御霊をしのんでもらっているご温情に感謝申し上げる」と代読した。水戸市にある天狗党を祭る回天神社からも関係者4人が出席。代表役員の鶴田静さんも長年にわたる同町住民による供養や交流に感謝した。
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