完成発表会で「坂本養川堰マップ」を手にする「研究会」メンバーや来賓=茅野市八ケ岳総合博物館
江戸時代の長野県諏訪地方の八ケ岳山麓を中心に農業用水路「堰」を開削した坂本養川(1736~1809年)の偉業を伝える「坂本養川堰マップ」が完成した。26日、発行した坂本養川堰「坂本養川堰マップ」(会長・小泉良文諏訪市公民館長)が発表した。小学4年生の教材や、地元で開く講座や見学会などで活用するほか、解説員の育成に役立てる。
A1サイズ(A4サイズ8ページの折り畳み式)で両面カラー。1万部作った。
地図面は諏訪、茅野、富士見、原の4市町村の養川堰を網羅。広範囲にわたる15本の堰の場所と堰名を記し、一目で全てが分かるよう工夫した。解説面では、養川堰の特徴とされる、堰の途中で自然の川の水を加えて水不足地帯に送る「繰り越し堰」の仕組みを説明。堰の写真やイラストなどを入れ見やすくした。
養川堰と養川は2002~15年に、小学4年生の社会科教科書に掲載されたが現在はなく、小学生から高齢者まで幅広い地域住民に、養川の偉業を学べるように―と県の地域発元気づくり支援金を得て作成した。
茅野市八ケ岳総合博物館で発表した小泉会長は「このマップは子どもから大人まで先人の偉業に触れることができる。(偉業が)過去、現在、未来に受け継がれていくことを願う」と語った。
研究会は諏訪市、茅野市中央、富士見町、原村中央の4公民館職員を会員として発足。マップはこの4公民館で扱い、希望すればもらえる。
■坂本養川 1736(享保21)年諏訪郡田沢村(現茅野市宮川田沢)生まれ。幼名太郎、成人して市之丞。74(安永3)年諏訪地方のかんがい調査を始め、75年堰の開削願書を諏訪高島藩に提出。二の丸家老諏訪家と三の丸家老千野家の権力争いのさなか、なかなか採用されず、83(天明3)年まで8年間に6回願書を提出。着工したのは85(同5)年だった。堰の開削で米の収穫量は増加。開削した15本の堰は現在も使われているという。1809(文化6)年に没した。
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