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松商学園の敷地にあるかつての貯蔵庫
特集は戦争の痕跡です。戦時中、現在の松商学園高校(長野県松本市)では「決戦兵器」と位置付けられた最新鋭の戦闘機の開発実験が進められていました。戦後76年、生徒たちが母校の歴史を見つめ直す番組を作りました。
人目を避けるように設けられた地下への扉。今、内部はがらんとしていますが太平洋戦争末期には燃料が貯蔵されていました。ここは長野県松本市の松商学園高校の敷地内。
かつての貯蔵庫は校内でロケット戦闘機「秋水」の開発が行われていたことを示す「遺構」です。
終戦直後に関係資料が焼却・廃棄されたため関係者の記憶や証言が頼りでしたが、今年3月、新たな資料が見つかりました。
実験場とみられる建屋の中にロケットエンジンがあります。実験に関わった技術将校の遺族から研究者らに公開されたものです。
秋水研究家・柴田一哉さん(今年3月の記者会見):
「今まで陸軍の松本実験場というのはブラックボックス状態で具体的な写真は一切出てこなかった。非常に貴重だと思う」
自分たちの通う高校で当時何が行われていたのか…。
松商学園放送部2年生・桑島直暖さん
松商学園放送部2年生・桑島直暖さん:
「あまり資料が残っていないので情報が少ない。燃料貯蔵庫だったということしかわからない」
松商学園放送部3年生・寺沢かりんさん:
「松商で『秋水』が作られていた証拠になる写真が見つかったと顧問から言われたのが制作のきっかけ」
放送部はこの夏、「秋水」の歴史や松商学園との関わりを取り上げた番組を制作しました。
(松商学園放送部が制作した番組「知繋」より)
「私たちの通う松商学園は戦時中、ある戦闘機の試作に携わっていたといわれています。その戦闘機の名前は『秋水』」
1944(昭和19)年の春、松本商業学校(現・松商学園高校)は閉鎖され軍需産業維持のための「明道工業学校」と改称して生徒は勤労動員されました。
当時、生徒だった湯本信一さん(91):
「戦争中は教室に座っていたなんていう記憶は無いね。勉強ができないのは戦争中だからしょうがないっていう程度にしか感じなかったね」
翌年の1945(昭和20)年、名古屋市で米軍の空襲や地震の被害に遭った「三菱重工業」の工場の一部が学校に疎開。
「秋水」に載せるロケットエンジンの実験が繰り返されました。この新兵器の目的は米軍のB29爆撃機を迎え撃つこと。軍と三菱重工業がドイツ軍のロケット戦闘機・メッサーシュミットMe163の資料を元に開発を進めていました。
秋水研究家・柴田一哉さん:
「B29は高度1万メートルを時速540キロくらいで日本本土に侵入することが可能でした。『秋水』はB29の来襲高度の高度1万メートルまで、零戦や隼は40分かかるところを、3分30秒で到達できるんですね」[/MARKOVE]