ピンバッジ交換会
25周年を迎えた長野オリンピック。当時、大きなブームとなったのが「ピンバッジ」。先日、長野市で愛好家が交換会を開き、当時の思い出をよみがえらせていました。
長野五輪開催時(1998年 長野市)
1998年の長野オリンピック。当時、長野市街地は多くの人で熱気に包まれました。
特に盛り上がりを見せたのが「ピンバッジ」。ピンバッジブームは長野から起こったとも言われています。
ピンバッジ交換会
あれから25年、その熱は今も続いています。
2月11日に開かれた愛好家たちのピンバッジ交換会、オリンピックの翌年1999年から始まりました。
今回はコロナの影響で3年ぶりの開催となりました。
ピンバッジ交換会
東京オリンピックの非売品や珍しいピンバッチもあり、コレクター魂を刺激するだけでなく、当時の思い出をよみがえらせてくれます。
主催者・玉井政道さん:
「こんな小さいんだけど、長野オリンピックの魅力がいっぱい詰まってる。(ジャンプ団体で)船木が一番最後に飛んで、勝ったのを目の前で見て、ピンバッジを見ると思い出しますね。思い出がすべてピンバッジの中に詰まってます」
88歳男性が着けていたピンバッジ
大ベテラン長野市の88歳の男性の胸には、長野五輪の開催が決まった後に市民に配布された限定500個という貴重なバッジです。
88歳男性:
「(ピンバッジをきっかけに)楽しく皆さんと知り合って、過ごせた時間はお金では買えない宝物」
長野オリンピックから25年。ピンバッジ交換会も身近な「レガシー」となっています。
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