新たに見つかった「諏訪鉄山」に関する写真とはがき
長野県茅野市蓼科中央高原一帯の褐鉄鉱の採掘地「諏訪鉄山」に関係した写真やはがきなど、新たな資料約10点が見つかった。同鉄山は太平洋戦争を挟んで製鉄原料となる褐鉄鉱を露天掘りした国内有数の鉱山。戦後77年、閉山60年を迎えて資料が散逸する中、研究者は「戦前戦後の様子が分かる貴重な資料」としている。
見つけたのは諏訪市四賀飯島の山田健太郎さん(80)。父親の武三さんの遺品から発見した。武三さんは1913(大正2)年山梨県北巨摩郡白州町(現北杜市)生まれ。学卒後、旧満州(現中国東北部)に渡り、関東軍の兵糧や武器などを輸送する輜重兵を務めた。帰国後は茅野市に住み、38(昭和13)年から諏訪鉄山の褐鉄鉱を運搬するトラック運転手に携わった。
写真の中には、武三さんとトラックが入った集合写真もある。採掘地で撮影したもので、武三さんとトラックを囲むように大勢が並んでいる。後方にはトロッコの軌道も見える。このほか、武三さんが太平洋戦争に出征した際、鉄山経営者らが寄せ書きした「日の丸」もあった。
諏訪鉄山は37(昭和12)年~62(同37)年、現在の蓼科中央高原を中心に、蓼科から奥蓼科にわたり褐鉄鉱を採掘。この26年間に約120万トンを産出した。43(昭和18)年から終戦を迎える45(同20)年までの最盛期には常に2000人以上が従事していたという。
山田さんは25日、茅野市八ケ岳総合博物館に、自宅にあった諏訪鉄山を含む戦前戦後の資料約25点を持ち込んだ。運搬用トラックで父親と一緒に採掘場を訪ねたこともあったと懐かしみ「参考になるものがあれば」と寄贈を申し出た。
同館は「鉄山など戦前戦後の歴史が分かる貴重な資料。機会があれば展示させてもらう」と快く応じた。同席した「諏訪鉄山の歴史保存をすすめる会」の宮坂敏郎代表(67)=茅野市=は「今では新な資料が出てくることはほとんどない」と山田さんの提供資料を歓迎した。
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