終戦の直前に旧海軍が長野市で掘ったとされる地下壕 掘削の経緯などを記した資料
本土決戦に備え、終戦の直前に旧海軍が長野市で掘ったとされる地下壕について、掘削の経緯などを記した資料が見つかりました。研究者は「建設開始の状況を裏付ける貴重なもの」と評価しています。
【動画で見る】新資料 終戦直前、本土決戦に備え…旧海軍が”海のない”長野に掘った「地下壕」
長野市安茂里 上空から撮影
長野市安茂里小市にある「大本営海軍部壕」。
地下壕(長野市安茂里)
1945年・昭和20年に海軍が100メートル程掘ったところで終戦を迎えたとされています。
松代大本営地下壕(長野市松代)
10キロ余り南の長野市松代町には「本土決戦」を想定して政府の中枢機関を移すため陸軍によって複数の地下壕が掘られ、一部は公開されています。
善光寺平一帯の施設(長野市)
安茂里の壕も善光寺平一帯の施設の一つと見られますが、工事を目撃した住民の証言や当時の村長の日記はあったものの、当事者の詳しい記録は確認されていませんでした。
海軍第三○○設営隊の山本将雄隊長が1984年に書いた手紙の写し
新たに見つかったのは海軍第三○○設営隊の山本将雄隊長が1984年に書いた手紙の写しです。「長野県史」編さんに関わった長野市の故・若月秀雄さん宅で9月に確認されました。
「陸軍は大本営用として1年前から松代町の裏山に防空壕を作ったから、海軍も軍指令部職員およそ1000名用の物を作れと指示された」
「陸軍の壕内には海軍の入る余地は無いからこれから別に作れとのこと」
地下壕の保存・公開に取り組む「昭和の安茂里を語り継ぐ会」
資料を見つけた「昭和の安茂里を語り継ぐ会」土屋光男・事務局長:
「これが本当の最後のピースかなと、非常に震えましたよ」
壕の保存・公開に取り組む「昭和の安茂里を語り継ぐ会」の報告会がおととい開かれ、研究者が講演しました。
明治大学・山田朗教授
明治大学・山田朗教授(講演):
「まさに当事者、設営隊長によって語られているのは大きい。安茂里の海軍壕が大本営海軍部壕の建設のスタートを示すものというのがほぼ確実になった。いずれ大本営海軍令部壕が本格化することは間違いない」
地下壕(長野市安茂里)
8月15日に戦争が終わらず、善光寺平が戦場となったなど、想像もしたくない歴史の「IF」です。
当時の軍はどれほど具体的に本土決戦を構想していたのか。
新たな資料の発見で研究が更に進むことが期待されます。
[/MARKOVE]