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箕輪町出身の探偵小説家・大下宇陀児 寄贈資料から幼少期の作文見つかる 長野県(長野日報) – 長野県地域ニュース

箕輪町出身の探偵小説家・大下宇陀児 寄贈資料から幼少期の作文見つかる 長野県(長野日報)

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大下宇陀児が9歳のころに記したとみられる作文
長野県の箕輪町郷土博物館に寄贈された資料から、同町木下出身の探偵小説作家・大下宇陀児(本名・木下龍夫、1896~1966年)の幼少時代の作文が見つかった。江戸川乱歩とともに探偵小説界をけん引してきた宇陀児の才能の片りんをうかがわせる内容。郷土の偉人ながらも、同館には幼少期の記録が一切なかったといい、「非常に貴重。大切に保存していきたい」と気を引き締めている。

◆語彙や表現力大人っぽい◆

発見されたのは、1906(明治39)年3月に記されたとみられる中箕輪尋常小学校時代の3年生の答案用紙集。現代の作文に当たる「綴り方」の試験とみられ、与えられた題目は「修業を知らせる文」「我が学校」の2問。文章の骨組みはクラス全員とも共通しているが、細かな表現内容は人それぞれ。9歳の宇陀児は、1年間を締めくくり次学年に進級するのに際し、「鳥などはさもおもしろそうに、ないて居ます。それにつれて私どもは…」「なほべんきょうし、父母のいひつけをまもります」などとしたためた。採点結果は2問とも満点。作文を見つけた同館学芸員の柴秀毅さんは「語彙や表現力が大人っぽい。さすがだ」と舌を巻く。

◆実は理系出身 研究所勤務も◆

宇陀児の非凡さは文壇デビューを果たすまでのユニークな経歴からも見て取れる。実は、理系出身。九州帝国大学(現九州大)工学部応用化学科を卒業し、商工省(当時)臨時窒素研究所に技術者として勤務した。研究所の同僚が探偵小説を執筆していたことに発奮、文学的な修行をしてこなかったものの、1925年に「金口の巻煙草」で文壇デビューを果たした。

推理小説では犯行の動機など人間の姿を深く掘り下げて描写することに主眼を置き、代表作「石の下の記録」で探偵作家クラブ賞を受賞。52年には、親交の深かった乱歩の後釜として、第2代日本探偵作家クラブ会長に就任。人気作家として活躍し、乱歩と並び称された。47年からはNHKの人気ラジオ番組「二十の扉」にもレギュラー出演し、お茶の間に親しまれた。現代では乱歩ほど認知度が高くない理由について、柴さんは「個性的な主人公が登場するシリーズ作品がないからでは。文章表現が硬いからかもしれない」と推測する。

◆寄贈の資料 90点の中から◆

こうした作品の多くは、同館で閲覧できる。ただ同館には成人後の文献や作品は存在するものの、幼少時の記録は一切なかった。生家は残っておらず、子孫は箕輪から離れて暮らしていることなども背景にあるとみられる。今回、箕輪町出身の人から寄贈を受けたのは、実家の蔵にあった明治~昭和時代の民具や文献など約90点。このうち、柴さんが気に留めていた答案用紙集に目を通していたところ、思いがけず宇陀児の本名が記された用紙が見つかった。「貴重。大切に保存し、機会のあるときに紹介したい」と言葉に力を込める。

町の姉妹友好都市・東京都豊島区からは宇陀児に関する資料の貸し出しのニーズがあるといい、「宇陀児の人気の”復権”を諦めないようにしたい」と前を見据える。」
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[紹介元] 長野日報 – Yahoo!ニュース 箕輪町出身の探偵小説家・大下宇陀児 寄贈資料から幼少期の作文見つかる 長野県(長野日報)

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