長野放送
終戦の2日前に起きた「長野空襲」から77年となった13日、当時の体験者らによる「長野空襲を語る集い」が開かれました。
1945(昭和20)年8月13日の「長野空襲」では、米軍機の攻撃により長野駅などで47人が犠牲になったとされています。
今年で37回目となる「語る集い」で体験を話した長野市の元国鉄職員・宮尾進一さん(93)は旧制中学時代に名古屋市で空襲に遭い、親戚を頼って移り住んだ長野市で2度目の空襲を体験しました。
当時は長野駅で働いていて、夜勤明けの空襲で同僚を失ったのです。
宮尾進一さん:
「機関区の風呂に入っていて外に出たらカーチスですか、米軍の戦闘機がバリバリ撃っている。これは危ないというわけですぐ目の前にあった防空壕に飛び込んだんです」
「同僚が6人亡くなって、その内の一人は絵描きだったものですから直前に絵をもらったばかり。今も家に飾ってありますけどそれを見るたびに切ない思いをしています」
会場ではおよそ50人が空襲体験者の話に耳を傾け、平和への思いを新たにしていました。
小学4年生:
「すごく勉強になりました。戦争は何も悪くない人が次々と死んじゃうので二度と起きてはいけないと思います」
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