メンズベルトのメーカー「SADO」の佐渡恭明会長(87)
東京都内に本社を置き、メンズベルトの生産で国内トップシェアを誇るメーカーの工場が長野県飯田市にある。遠く離れた飯田に工場を建設したのは、現会長の「恩返し」の気持ちからだった。
■飯田の工場で年間3万本以上
「SADO」は他社に製品を供給する「OEM生産」で国内トップシェア
牛革を切り出して、表面を磨き、ミシンで縫合。本革のベルトが完成した。
メンズベルトのメーカー「SADO」の第一工場。場所は飯田市松尾。「SADO」は他社に製品を供給する「OEM生産」で国内トップシェア。東京に本社があるが工場は飯田市に2カ所あり、年間3万本以上を作っている。
■職人歴72年「親方」
職人歴は72年 職人たちから「親方」と呼ばれる佐渡会長(右)
SADO・佐渡恭明会長(87):
「あんまり細かくやらないで、もう少しこういうふうに大きくやって。大きくやった方がいいよ。少しずつそういうふうにするよう心がけて」
指導するのは会長の佐渡恭明さん(87)。職人歴は72年で、社員の職人たちからは「親方」と呼ばれている。
SADO・佐渡恭明会長:
「『なんだSADOの作ったベルトは』と言われたくない、職人根性がある。そういうものを作らない、作らせない。だから厳しいのは当然」
毎月1週間ほど飯田に滞在し、時に厳しく職人たちを指導している。
■飯田に疎開 5年間過ごす
現在の飯田市松尾
佐渡さんにとって飯田は生産拠点というだけでなく、実は「思い出の地」でもある。
太平洋戦争末期。東京は空襲によって次第に焼け野原が広がっていった。当時9歳になっていた佐渡さんは、軍の命令を受けて飯田市松尾に強制疎開。集会所で集団生活をしながら中学卒業までの5年間を過ごした。
SADO・佐渡恭明会長:
「農家でお手伝い、田植えしたり、稲刈りしたり。小学校6年生から新聞配達、月60円、中学入ってから牛乳配達、月210円。みんな僕のことを知っているわけですよ」
■東京に戻り職人の道へ
40代の頃の佐渡さん 画像提供:「SADO」
東京に戻ると母の勧めで職人の道へ。ベルト工場で働き始めた。
SADO・佐渡恭明会長:
「やればやるほど難しいことが出てくるから余計に面白くなる。『よーし、これを覚えてやろう』と一生懸命やりました」
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