高遠城址公園で、「桜にとって良い自然環境を守ることが桜守の仕事」と子どもたちに伝える稲辺謙次郎さん=2012年8月7日
桜守として長年、長野県伊那市高遠町の高遠城址公園にあるタカトオコヒガンザクラの保護に携わり、伊那谷の環境保全活動にも尽力した稲辺謙次郎さん(東高遠)が9日、病気のため78歳で亡くなった。東京都出身の稲辺さんは、都内の民間企業勤務を経て1996年に旧高遠町に転居し、50代から精力的に自然保護活動に関わった。関係者からは惜別の声が相次いでいる。
稲辺さんは49歳まで婦人服メーカーに勤務。その後、高遠町へ移り住んだ。もともと自然環境への見識が広く、移住後から本格的に桜の管理を学び、99年に桜守となった。市振興公社に勤め、城址公園の桜の保護をする傍ら、新たな桜守の育成にも尽力した。
「まず樹木に愛情を持とう。自然の生き物が相手だから観察が必要だよ、と教えていただいた」―。18年前、同公社に就職し、稲辺さんから桜の管理について指導を受けた西村一樹さん(40)=同市高遠町小原=は振り返る。
当時、社会人1年目の西村さんは、樹木の管理に必要なチェーンソーの使い方やはしごの掛け方も分からなかったが、稲辺さんはいつも優しく教えてくれたという。「今考えれば、怒られるようなことをしているのに、怒られた記憶がない」。先輩亡き後は「桜の命を次代につなげるのが桜守の仕事。稲辺さんの教えを大切にしたい」と誓う。
一方、稲辺さんは市民団体「三峰川みらい会議」の事務局長を20年間務めた。今年5月の総会では事務局長から代表に就任したばかりだった。前代表の織井秀夫さん(87)=同市東春近=は「彼の死は青天のへきれき。さらに手腕を発揮できるという時に残念でならない」と唇をかむ。
同会議は住民主体で三峰川の環境保全、治水、利用を考える組織。外来植物アレチウリの駆除や河川に生える木の伐採、生物の調査、ガイドブックの発刊などを実施してきた。稲辺さんは事務局長として多くの事業を企画立案し、常に円滑な運営を実践した。
織井さんは「幼少期から三峰川に親しんだ人ならともかく、大人になって都会から来た人にもかかわらず、活動の姿勢は懸命で、本当に頼れる人だった」と生前をしのび、「組織をここまで拡大したのは彼の力」とたたえた。
同会議の会員で、親交が深かった白鳥孝市長は「穏やかな方だった。桜守としての功績は大きく、広い見識で伊那谷に新しい風をもたらしてくれた人だった」と悼んだ。
[/MARKOVE]