あさま山荘事件当時の箱山好猷さん(左) 提供:箱山さん
武装した集団が人質を取って長野県軽井沢町の保養所に立てこもった「あさま山荘」事件。犯人たちが逮捕されてから2月28日で50年です。長野県警の元機動隊員の男性が、死を覚悟して突入した「あの日」を振り返りました。
28日の慰霊式
28日、事件で殉職した2人の警察官を慰霊する式典が、現場から2キロ離れた「治安の礎」で行われました。
軽井沢警察署・柏木隆署長:
「(2人の)使命感を忘れてはならない。気持ちを今後も引き継いでいきたい」
箱山好猷さん
式の前に花を手向けた箱山好猷さん(86)。あの日、長野県警機動隊の分隊長として山荘に突入しました。
元県警機動隊・箱山好猷さん:
「人生で最大のできごと。もう50年もたったんだなと一生忘れない。私が目をつむるまで忘れることはない」
NBS長野放送
札幌オリンピックの閉幕から6日後の1972年2月19日。ライフル銃などで武装した新左翼の「連合赤軍」の5人が、軽井沢町の「あさま山荘」に押し入り、管理人の妻を人質にして立てこもりました。
元県警機動隊・箱山好猷さん:
「あさま山荘を見た途端に『パンッ』と弾がきた。他の隊員が『分隊長、危ない!』とそれから包囲が始まった」
NBS長野放送
日本中がテレビに釘付けになる中、犯人たちは山荘に近づいた民間人1人を射殺。
9日目、箱山さんたちに翌日の突入が言い渡されます。
元県警機動隊・箱山好猷さん:
「前の日、突入部隊だけで別れの杯をして寝て、朝は水杯だった。もしものときは、親子3人いつまでも元気で仲良くいてくれと、心の中で別れを告げて現地に」
「決心が揺らぐかも」と箱山さんは、家族には何も告げていませんでした。
旗を振って制圧を知らせる箱山さん
妻・京子さん:
「(告げられたら)びっくりしたでしょうね、知らなかったからよかった。(もし聞いていたら)警察官の妻として『行ってください』と言ったと思う。何しろ任務ですから、運を天に任せるという感じ」
2月28日、箱山さんは2階への突破口を作る破壊工作班の班長として突入します。
元県警機動隊・箱山好猷さん:
「屋根裏から投げた爆弾が窓を突き破って落ちて私の足元に、たまたま不発弾だった。使命感だけだった。人質救出、犯人検挙、それしかなかった」
窓から旗を振って制圧を知らせました。警察は威嚇射撃しかできない中、銃撃された警視庁の2人が死亡。それでも午後6時過ぎに犯人全員が逮捕され、人質の女性も救出されました。
元県警機動隊・箱山好猷さん:
「ああよかったと。(女性が)無事でいたということが一番よかったと」
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