神額の裏面を見せる諏訪市衣之区の松本昌之区長
長野県諏訪市湖岸通り5の衣之渡稲荷神社の鳥居に掲げる神額の裏面に、1709(宝永6)年に奉納されたことを示す文字があることを、同神社の関係者が見つけた。衣之渡区の松本昌之区長(52)は「武家屋敷があった衣之渡の歴史を再認識できた。大切に守っていきたい」と語る。19日午後1時から移転完了神事を行い、神額も披露するという。
神額は縦35.5センチ、横26.5センチ、厚さ約3ミリの長方形。銅板と四方の飾りがカシメで圧着されていて、表面に「衣之渡大明神」、裏面に年代を示す文字が刻まれている。盗難防止のため毎年2月の初午の時にだけ掲げ、通常は木製の額を鳥居に取り付けていた。
稲荷神社は隣接する公民館の移転新築に伴い、数十メートル離れた新公民館の敷地内に移転した。2月7日の移転前神事で、八剱神社の宮坂清宮司が銅板の裏面の文字に気付いたという。290年前と157年前に寄進された神社の灯籠よりも古い資料で、松本区長は「裏面は誰も気にしていなかった。314年前の額だと知って驚いた」と話す。
高島城復興50周年記念冊子「高島城のすべて」(大昔調査会編集)によると、1709年は四代高島藩主・諏訪忠虎の時代。一帯は、高島城の「衣之渡廓」があった場所で、二重櫓や内海門、上級藩士だった志賀七右衛門の屋敷があった。
移転作業では社殿を支える石垣の全容も判明し、地上に出ていた2段ではなく、4段目まであったことが分かった。石段を施工した金子石材(同市杉菜池)の金子正昭会長(83)によると、上部ほどそり上がる「寺勾配」の石積みで、砥川石(安山岩)などが使われている。金子会長は、当時の石工がのみで仕上げた表面を見て「手作業で苦労したと思う。素晴らしい仕事だ」と絶賛した。
松本区長は「今のように便利な道具がない時代。板金加工や石積みを見ると、昔の人の技術はすごいと思う。衣之渡の守り神として大切にしたい。この機会に衣之渡の歴史を多くの人に知ってもらえたら」と語り、説明看板の設置も検討している。
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