村の人口は伊那市に隣接する地の利を生かしたベッドタウン化を背景に、1976年に8000人、85年に1万人、95年に1万2000人に増加。2013年9月に1万5000人に到達した以降も年間100人ほどのペースで増え、50年足らずで倍増した。
唐木さんは1967年に村役場に入庁。平成の合併論争を経て村が自立を決めた直後の2005年に村長に初当選し、以来4期16年務めた。
村長在任中も村の人口は右肩上がりを続けていたが「人口減少時代にあって村が自立を続けるには、現在の人口を維持して自治体規模を守っていくことが絶対条件」と考えた。
「子育てにやさしい村」を公約に掲げ、環境整備として長時間保育や学童クラブの充実、相談支援体制の拡充を進め、子どもの医療費の無料化や保育料の引き下げなど、他自治体に先駆けて行った。
保育園から大学までそろい、工場立地などで働く場所も多く、閑静で市街地に比べて安い土地があり、交通も至便な村内の居住環境。良好な環境と子育て世代に魅力的に映る子育て支援の施策が口コミで広がり相乗効果となり、村の予想を上回る形で人口は増え続けた。
子どもの数も増えて、計画になかった小中学校や保育園の増改築は当たり前に。唐木さんは「限られた財源の中で整備するのに苦労した」と振り返るが、人口が増えることで税収も増えてカバーした。
21年の人口増減で、村は80人増えて上伊那地方で唯一の増加に。一方で出生数から死亡数を差し引く自然増減が、村が統計を取り始めた1932年以降で初めてマイナスに転じた。
唐木さんは「子育てや教育、医療、健康など、すべてに公平でなければ。ばらまきではなく、本当に困っている人たちを支えることが全体の福祉につながるはず」と指摘する。[/MARKOVE]